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ipod touchが爆発

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少女の「iPod touch」が爆発、アップルの"口止め"対応に非難の声も。

少々ショッキングなニュース。

11歳の少女が使っていたipod touchが異音とともに爆発。

使っていた少女の父親がアップルに訴えたところ、アップル側の役員が口止めをお願いしたそうだ。本当のことなら大変なことだと思う。企業としての体質が問われる重要な問題だ。

そして、私たちの使っているiphoneも、もしかしたら爆発するかもしれない。

記事の通り、異常発熱が爆発のきっかけだとするならば、ケースなどをつけていたら気づきづらいと思った。

そういえば、ケースをつけていても何度か長電話をしていてiphoneが異常に熱くなっていることがある。

携帯電話の発熱でやけどをすることもあるので、あなたのiphoneやスマートフォンが発熱しだしたら少し放置してもらいたい。

通常の携帯電話よりリチウムイオン電池の大きさは大きいので、発熱して爆発したら洒落にならない。

お気をつけられたし。

NOKIA6630。

その無限の可能性を一番最初に感じたのは、
海外でどっかの誰かが出していたエミュレータソフトでした。
いや、いきなりブラックな話で申し訳ないです。

Vodafoneのコンテンツプロバイダーからリリースされたアプリがほとんど対応していなかったため、
世界中に落ちている、無料のアプリケーションで遊ぶしかなかったのです。
しかし、これがまた衝撃的。

当時、アプリと言えば、キャリアの公式メニューを介してのみ享受できる楽しみで、
唯一、docomoのみは、オープンな環境でフリーのアプリをダウンロードすることができました。

とはいえ、市場に出回っているフリーのソフトはクオリティが高いとも言えず、
納得、満足するものでもありませんでした。

しかしNOKIA6630は、その世界規模での販路と、スマートフォンの特性から、
様々な裏技と、1台の端末を通じた世界規模的なコンテンツの流通という可能性を見せつけてくれたのです。

言ってみれば、iphoneで実現したiTunesの世界規模的コンテンツマーケットのはしり、ですね。
これに日本が初めて触れた瞬間です。

もちろん、その時に「これは儲かる!」と思うわけもなく。(^^;)
携帯電話市場が急成長し、キャリアが増長天に届く勢いでしたので、
今にして思えば、まさかそんな時代が来るとも思えませんでした。

今にして思えば、この経験こそが私が後にモバイルコンテンツ業界へ足を踏み込むことになる、きっかけになったのでした。

ちなみに、やっぱり断然人気だったのは、某任天堂のファミリーコンピュータのエミュレータ。
NESと言われるそのアプリケーションを入れれば、あっという間にNOKIA6630で水道工のオヤジが動く羽目に。

     

a9bad2df.jpgマイ●ィボンジャックも。

 

Nokia6630.jpgのサムネール画像

思えばこのNOKIA6630は日本で初めて一般的にスマートフォンと認識された携帯電話ではないでしょうか。
発売開始が2004年の12月。

2005年にウィルコムからW-ZERO3が発売されるまで、日本のスマートフォン市場は
なんとSymbianOSが100%のシェアを誇っていたのです。
端末が1機種のみなので、ですけども。

この日本初のスマートフォン、本部からは「ビジネスマンへ売るように」と販売方針が飛んでいましたが、私が担当していたお店は郊外型の店舗で、近所に大型の公営住宅団地があったので、
客層はファミリー層がメイン。

NOKIA6630(vodafoneでは702NK)は奇抜なデザインと舶来モノとしてオバサンやオジイサンには
とうてい売れる商材ではありませんでした。

しかし、フルブラウザを搭載し、海外でもそのまま利用可能で
POPなどのEメールクライアントが利用可能だっため、ほぼ今のスマートフォンと見劣りしない
機能を備えていました。

すごい高機能携帯電話です。
とはいえ、これを使いこなせる人もそんなにいなくて、
法人契約で数台販売したのを覚えています。

ちなみに、当時の売れ筋はSHARPの902とか802といった商品で、
重視される点はカメラや使いやすさ。「着メロ」から「着うた」への転換期でもあり、
若いお客さんは「着うたができるやつがいい」とご指名の場合もありました。

したが、Vodafoneがプロデュースするそれらは
それまでの洗練された日本製の携帯電話とは一線を画する
グローバル戦略に基づいたユーザーインターフェイスとデザインを兼ね備えていたので、
正直言って、おっそろしく使いづらく、デザインもしょぼい。
あまりお客さんに勧められる商品ではありませんでした。

それだけではなく、これらの商品が十分な検収期間を経て開発されていないのか、
多くの致命的なバグや欠陥を含んでおり、その半年後には、
大量のクレーム処理を生む原因になっていったものです。

NOKIA6630は当時すでに海外での販売実績もあり、重大な欠陥を持たずして日本国内で販売されたため、特に大きなクレームにつながることはなく、

同時期に発売されていたVodafoneの他の機種に比べれば、『販売しずらいが、その後のフォローが楽』な機種でした。

しかし、使い方だけは、使ってみないとわからないところがとにかく多い。

お客さんに販売するにしても、自分自身がスマートフォンの理論や思想を認識しないと販売できない。私はますますNOKIA6630を使いこなすようになり、色々と実験をしてみるのでした。


 

JphoneVodafone.jpg

今ではすっかり見かけなくなった両社の並列ブランドロゴ。
当時は街頭やTVCMでもよく見かけた。
2005年7月までの限定ロゴだった、ように記憶している。

 

 

スマートフォンと私の出会いは、NOKIA 6630。

当時勤務していたJ-PHONEショップがVodafoneショップに変わった2004年のことでした。

販売代理店にいた私はまだ25歳。 

J-PHONEとVodafoneの転換期に店頭で携帯電話の販売を陣頭指揮していました。

NOKIA6630との出会いはまさにそんな時期です。

Vodafone買収の象徴のような海外製の携帯電話。日本でVodafoneから発売された端末名は「702NK」でした。

J-PHONEはもともとNOKIAの端末を販売していたので、操作感はきっと同じようなものだろうと思いこんでいたら、まったく違う思想で作られているものであったため、衝撃をうけたことを覚えています。

また、携帯電話の販売に従事している者としてはなれないOSで、一般のお客さんにはとうてい勧められるものではなかったのを覚えています。とはいえ、私はこの端末を売らなければならなかったし、お客さんに説明しなければならないので、このスマートフォンなるものを自腹で購入し、実際の使い心地を試してみました。

当時はまだ今ほど洗練されていないSymbianOSは使い勝手の悪いところも多々ありましたが、この魅力に取り憑かれたのもまた、事実でした。

Nokia6630.jpgのサムネール画像